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多額の税金を支払っているわけではありませんが、消費税を少しだけ支払っている国民のひとりとして、やはり政治の動向が気になります。
まず、国会議員は、国民の生命や財産を護るために、法律を作ります。
その法律は、国民のためのものであることが大前提です。
その法律に従って政府や自治体は、国民のために働くものと理解しています。
しかし、最近では、国民のためと言うより、一部の特権階級の人たちが得するためのルールのようにように思えてならないのです。
国会や委員会では、多数の議員を抱えた与党の政党が法律案を作り、野党は愚痴を言っているだけように感じます。
「政治は力!」
与党の力によって多くの法律ができているのですが、これが民主主義だと思えば仕方がありません。
与党の政治家を選んでいるのは、国民だからです。
でも、投票を政策で判断しているかどうかについては、疑問があります。
結果的に、多くの法律が、一部の特権階級の人たちが得するためのルールになっていると思えるからです。
ところが、国民は、スキャンダルには意外と敏感な反応を示します。
総理大臣の息子を秘書に抜擢し、その息子が総理の外遊に同行して私的な行動をし、年末には官邸で身内を呼んで忘年会をしたという行動には、メディアが反応しました。
メディアが反応したのは、国民がスキャンダルに興味があることを知っているからです。
ですが、息子が更迭された後、与党の政治家が「一時は、息子は表舞台に立たないでしょうが、何年か先には国民がスキャンダルのことは忘れてくれる!」が言い放ちました。
あまりにも国民をバカにしている言葉ですが、実際に、過去にはスキャンダルで世間を騒がした政治家が当選しています。
私自身、年寄りと世襲の政治家の存在は良くないと思っています。
「世襲であったとしても優秀であればいい!」と言う人もいますが、ほとんどの世襲議員は、慣れてくると国民を踏み台にしたような言動をしています。
理由は、簡単です。
政治家の家庭で育てば、その分野の知識は豊富かもしれませんが、国民レベルの思考はできません。
「三つ子の魂、百までも!」
「子供は、お痩せの背中を見て育つ!」と言います。
慣れてくると多くの世襲政治家は、本性を現わしてきます。
「国民を統治する!」という意識がどこかにあるような気がして、政治家としての緊張感が消え去っています。
政治家は、「国民のために働いているだろうか!」という緊張感を持ち続けたいものです。
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